救援連絡センターは1969年の発足から42年間、権力の不当弾圧と闘うためには、黙秘こそが最強の武器であることを訴え続けてきました。
最近は反原発の闘いなど、さまざまな人々が闘いに参加し、警察権力との逮捕やさまざまな運動つぶしの攻撃と対決する中で、黙秘とは何かという議論も広がっています。
さらには、この間の検察による証拠捏造や多くの冤罪事件が明らかになっていく中で、密室下での捜査に対する批判が高まり、「取調べの可視化」が叫ばれています。そういう動きの中で警察や法務省は「取調べの可視化」と引き換えに「新たな捜査手法」を導入しようと画策しています。「可視化」によって「自供」が取りにくくなることは捜査側にとって不利になり、捜査が困難になると治安悪化を招くと主張しながら、これまで禁じ手とされていた司法取引、おとり捜査、(スパイ)潜入捜査などの「違法捜査手法」を一気に合法化させようとする攻撃です。その中には黙秘権の制限も検討されています。
今こそ黙秘とは何か、どう黙秘の闘いを広げていくかをみんなで考えていくために「救援ノート」の黙秘との闘いを紹介しながら、黙秘についての討論を深めていくことを提案します。
誰でもできる黙秘
取調に対しては、完全黙秘で闘います。黙秘とは、権力(警察・検事・裁判官など)と一切口をきかないことです。
黙秘するのは「難しい」と言われていますが、ただ黙っていればいいのですから、実は一番単純・明快、簡単で、やろうと心に決めたなら、誰にでもできることなのです。
もし政治的な事件で逮捕されたら、権力との間に何の対話も有り得ないことに思いを致して下さい。自分たちを弾圧している権力に対しては一切の言い訳も、交渉もありえません。闘う思想が試されているのです。
もし政治的でない事件で逮捕されていても、黙秘権は自分の権利です。なにかやってしまった人も、濡れ衣の人も、あらゆる事件で逮捕されている人が、黙秘についてよく知り、きちんと権利を行使して欲しいし、必ずできると思います。
完黙こそ最強の武器
完黙(完全黙秘)とは、取調の最後まで黙秘を続けることです。完黙こそ、法律のしろうとである被逮捕者が、この身ひとつで、取調の専門家と対等に闘うための、唯一・最強の武器です。
完全黙秘で闘うと、取調の主導権は完全にこちらのものになります。むこうは「ひと言でもしゃべってくれよ」と必死でなだめたり、すかしたり、脅したりしてきますが、それでも駄目となればしまいにはあきらめムード、「どうせ何も言ってくれないんだろ」と、黙って自分の本を読んでいたり、居眠りをしていることもあるのです。
事実関係は勿論、氏名・住所についても黙っています。雑談もしません。自分のことは勿論、他の人のことも言ってはいけません。また、全ての調書への署名・指印を拒否します。黙ったまま、取調べ担当の警察官たちが言うことはしっかり聞いておいて、接見に来た弁護士に報告し、相談します。
弁護方針については、色々な情報を集めることができて様子が分かっている外の仲間や弁護士とよく相談して決めていきます。仲間や弁護士を信頼し、外のことは外に任せて、自分では獄中の黙秘の闘いに全力を集中しましょう。黙秘の闘いがあってこそ、有利な事情や証拠を集めて有効に闘うことができます。
ちなみに供述調書は、被疑者が述べた通りを記録したものではありません。警察官や検察官が要約・作文したもので、どう転んでも自分の気持ちにぴったりくるようなものではありません。相手に分かってもらおうと思うのが無理な話なのです。もし不当にも起訴されたとしても、供述調書がなければ裁判で闘いやすくなります。
途中でしゃべってしまったとしても、くじけずに踏みとどまって態勢を立て直し、できるだけ早く完全黙秘に戻りましょう。
黙秘は団結を守る
黙秘とは、自分を有罪に陥れるような不利益になること、あるいは権力が知りたがっている情報などについて、自分の側からは何もしゃべらないということです。
憲法第38条1項
何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
それは、国家権力というものが、常に不正(例えば取調における拷問や脅迫など)を行う可能性のあることを認めているだけでなく、個人が国家と対等であるという立場に立って、人がもし仮に法を犯すようなことをやっていたとしても、自分で罪を負うことを拒否できる、自分で自分を守る権利があるということです。自己に不利益な供述を権力が強要することはできないということです。
では、自分のことは黙秘し、他人のことはしゃべってもいいのでしょうか。そんなことはありません。考えてみて下さい。もしある事件で一緒に何人かの人が逮捕され、それぞれが自分のことは黙秘しても、他の人のことをべらべらしゃべってしまったとしたらどうなるでしょうか。昔から自分が助かるためにお上などに仲間(他の人)を売ること(=密告)は人として最低のこと、道義的に許されないこととされてきました。密告は人道に反することなのです。
国連の拷問禁止条約は、拷問が、自分のことだけでなく他の人のことを供述させるために拷問が使用されるのを当然ながら想定し、これを禁止しています。
黙秘の闘いの意義
そもそも法律の基になっているのは、社会で作り上げてきた慣習法です。これまでの長い歴史の中で、個人の自由や団結して闘うためにさまざまな権利が勝ち取られてきました。
しかし同時に法律は、国家権力の支配の道具として、そのつど勝手に改廃されてきました。警察の捜査権限を増大するために、近代刑法の原則もかなぐり捨てて共謀罪を新設し、今また新たな捜査手法を導入しようとしていることを見ても明らかです。その時々の社会の力関係を反映したもので、決して絶対・普遍的な価値を持つものではありません。
例えば、もし密告を奨励するような法律や制度があるならば、それは人道に反する悪法、と言わざるを得ません。ところが実際には、中世の「魔女狩り」、近代では戦前の日本やナチスドイツ時代、ソ連などで秘密警察の脅迫で人々に密告を迫る、1950年代のアメリカにおけるマッカーシー旋風(「赤狩り」)など、そんな例は枚挙に暇がありません。現代でも証人保護法(日本でも組織的犯罪対策3法の中に導入)や「新たな捜査手法」として司法取引を導入しようとする動きなど、権力は密告を奨励し続けています。
黙秘権も、単に法律で保証されているから行使できる、あるいはするのではなく、国家の強権に対して個人の権利、尊厳を守るため、さらには権力がねらう運動つぶしを許さない闘いとして、一人ひとりが自覚を持って黙秘を実行し、広げていく必要があります。
黙秘は権力と闘うための基本だということを改めて確認し、この闘いをすべての人々に訴えます。