10月26日の衆院内閣委員会において、藤村官房長官は「野田内閣において死刑を廃止する方針はまったくない」「最後の最後には悩み抜いて(執行する)、というのが法務大臣の役割だ」と平岡法相に死刑執行を迫る発言をした。死刑廃止に向かう世界の流れに逆行し、死刑についてのさまざまな議論があることを無視した暴言であり、絶対に許すことはできない。
さらに法務官僚は、年内死刑執行がなければ、19年ぶりに死刑執行ゼロの年になるとして、何としても平岡法相に死刑執行命令書にサインさせようと圧力をかけている。
今こそ年内の死刑執行を阻止し、死刑廃止の声を広げていこう。
東日本大震災で2万人もの人が亡くなり、今なお福島原発の事故により、多くの人々の命が危険にさらされている。大災害で奪われた人の命は取り戻すことができない。人の命は二度と再生させることはできないのだ。
しかし国家は原発推進の国策を見直すどころか、多くの人々を大量被爆させて、平然としている。人命よりも企業利益を守ることに汲々としている。国家は多くの人々の命を奪いながら責任をとろうともしない。はじめから「人命尊重」など考えてもいないのだ。国家は個人の殺人を禁止し、厳罰をもって対処しながら、国家による殺人である戦争と死刑を「合法」とする。
実際に多くの死刑囚は事件を起こすまでは普通の人として生活してきた。借金を抱えたり、さまざまな事情で追いつめられた結果、事件に至ることが多い。一方では百億円もの大金をギャンブルにつぎ込む人もいる。現実の社会の矛盾が凝縮して現れるのが「犯罪」である。事件が起きた背景を問題にせずに、「犯人」をみせしめにして処刑すれば「犯罪」を防げるという考えは誤りである。
被害者問題も社会全体で解決すべき課題である。死刑によっては何も解決されない。
最近、多くの冤罪事件で無罪判決が相次いでいる。拷問や脅迫で無実の人を「自供」させ、監獄にたたき込んできた警察や検察、また無実の訴えにもかかわらず有罪判決を下し、投獄してきた裁判官は処分も刑事罰も受けることはない。
企業は公害や薬害や労災や事故など、日常的に多くの命を奪っているが、よほどのことがない限り刑事罰を受けることはない。国家や企業の誤りは裁かれず、個人の「犯罪」だけが厳しく処断される。
すでに世界の96カ国は死刑を全面廃止し、存置国は58カ国にすぎない。存置国でも死刑執行を繰り返しているのはその半分にも満たない。日本はその数少ない国の一つなのだ。韓国もこの13年間死刑執行が停止され、事実上の死刑廃止国となっている。
無実の死刑囚を処刑
3年前に死刑を執行された久間三千年さんは一貫して無実を訴えながらDNA鑑定の結果、飯塚で幼児2名が殺された事件の犯人とされた。その鑑定方法は足利事件で菅家さんを「犯人」と決めつけたのと同じ鑑定方法だった。足利事件のDNA鑑定が間違っていたことが明らかになったのとほぼ同時期に、再審請求を準備していた久間三千年さんの死刑は執行された。法務省は久間さんの執行を急いだ理由を明らかにせよ。
久間さんの死刑に携わった法務大臣(森英介)・法務官僚・検事・裁判官は誰も謝罪も辞職もしていない。無実の人を処刑しても誰も責任をとらない。国家の「殺人」は問われない。
裁判員と死刑
多くの裁判では被害者遺族の報復感情があおり立てられ、弁護人さえも被告を弁護する立場を忘れ、被害者や裁判員の反応を気にして弁護を行う。しかも裁判が始まる前に公判前整理手続として、争点整理や証拠・証人の採用、公判日程など裁判の大枠を決め、実際に開かれる裁判は、被告のための裁判ではなく、裁判員のために演出されたショーでしかない。
これまでは被告も長い時間をかけて、救援や友人らとの交流を深めながら、事件の背景やなぜ事件に至ったのかなどをとらえかえすことができた。今はたった数回の法廷しか開かれず短期間の集中審理方式の裁判員裁判である。被告にとって裁判はさらし者にされる苦痛の場でしかない。裁判に絶望した被告が控訴を取り下げて自ら死刑を確定させてしまう事が増えている。
裁判員制度は戦時司法の要として、反対の声を押し切って強行された。まさに裁判員の召喚は「現代の赤紙」だ。徴兵制と同様、裁判員は国家が義務として押しつけてくる制度だ。
すでに裁判員裁判で8名に死刑判決が言い渡され、うち1名は少年である。これ以上の死刑判決を許すな。
相次ぐ死刑囚の病死
死刑確定囚の外部交通は厳しく制限され、親族・弁護士の他は拘置所長が例外的に認めたごくわずかな友人としか面会・文通が許可さない。まったく文通も面会もない人もいる。孤立した状況で精神的に追いつめられていく人もいる。
その中で、08年2名、09年4名、10年2名、今年に入って永田洋子さんら3名と死刑確定囚が相次いで病死した。無実を訴え、再審を請求しながら無念の死を強いられた三崎事件の荒井政男さんも含まれている。形を変えた死刑執行だ。
今も多くの死刑確定囚が長期の投獄で重病になりながらも死刑囚の身分のまま拘禁されている。当局は病死を待っているのだろう。獄殺を許さず、獄外での医療を要求しよう。
大逆事件から百年
今から百年前、天皇暗殺計画の共謀があったとして幸徳秋水、管野須賀子ら戦争に反対する社会主義者・無政府主義者らを一斉に逮捕する大逆事件という一大フレームアップ事件があった。密室裁判で24名に死刑判決、うち12名を天皇の恩赦で無期懲役とし、12名の死刑を執行した。死刑がもつ政治性・暴力性を露骨に示した事件だ。その後も虎ノ門事件の難波大介など天皇制を否定して決起した者は容赦なく死刑にされた。
関東大震災時には警察や軍隊・自警団らによって朝鮮人大虐殺が強行され、甘粕らは大杉栄や伊藤野枝らを虐殺しながら、重罰を受けることもなく、戦時下で暗躍した。その後も治安維持法が強化され、戦争に反対する者はことごとく投獄され朝鮮半島では多くの抗日戦士が処刑され、小林多喜二らは虐殺された。
国家が死刑にこだわるのは、反対勢力を押さえ込むために死刑が必要だからだ。ドイツは敗戦直後に死刑を廃止したが、日本は死刑を存続し、安保体制の下で自衛隊という強大な軍隊を維持している。
戦争と死刑は国家による殺人だ。
東日本大災害を受けた今こそ反原発・反核・反戦の闘いと死刑廃止を結びつけていくことが必要とされている。 (菊池 さよ子)