足利事件の再審無罪という画期的な出来事を契機に、DNA型鑑定についてのさまざまな報道が続いている。DNA型鑑定そのものが、高度で日進月歩の科学技術だから微妙な問題が多く、短い記事の中で何かを断定したり要約したりすると、新たな誤解を蔓延させることになる。
三崎事件(故・荒井政男さん)再審で最近行なわれたDNA型鑑定の場合、記事そのものは短いものだけに、書き方のニュアンスでどうにでも憶測されてしまうことになり、弁護団・支援者は困惑せざるを得なかった。記者たちは鑑定作業中の鑑定人から結果をいち早く聞き出すために電話をかけまくり、鑑定人が迷惑したとも聞く。和歌山カレー事件の場合、DNA型鑑定ではないが、毒物についてスプリング・エイトでの分析を行なった鑑定人が、鑑定書を裁判所に正式に提出する前に記者会見して内容を喋るという前代未聞のことがあり、それが林真須美さん有罪の世論を形成した。マスコミも科学者も、決してやってはいけないことではないのか。
三崎事件の問題は、事件当日荒井さんが乗っていた車のトランクの奥にあった比較的新しい大工道具袋に血痕が付着しており、警察がABO式ではなくMN式で血液型鑑定を行なったところ、殺害された被害者(K商店主)の型と同じとされたが、荒井さんはそれを自分の血だと主張していた。そもそも車の運転席付近には血痕がなく、その大工道具袋だけにどうして血痕があったのか不思議だったし、裁判では法医学者の再鑑定の結果、MN式検査は不安定で判定にも間違いがあると指摘されていた。その血痕を改めてDNA型鑑定して、荒井さんのDNA型と一致すれば、有力物証のひとつが消えるということだった。今回の鑑定では、血痕の細胞核由来のDNA(STR)は破壊されてしまって検出できず、細胞内の核外に沢山存在するミトコンドリアDNAについて一部の箇所から検出でき、それが荒井さんの遺体から採取した資料のミトコンドリアDNAとは型が異なっていたというものである。この結果をどう判断するか、さまざまな問題点がある。
毎日新聞のとんでもない誤報
いち早く7月2日の午後ネット版・夕刊で報道したのは毎日新聞だった。「証拠品付着の血痕DNA型/弁護側主張と合わず」の見出しで、「支援弁護団によると、少なくとも3種類のDNA型が確認され、うち2種は被害者の食料品店主の妻と娘の可能性が高く、もう1人分は不明」という、とんでもない誤報だった。店主の血痕とされていたが、店主はむろんのことその妻や娘のDNA資料が残っているわけではなく、今回の鑑定事項にも入っていない。3種類出てきたから、そのうちの2種類は妻と娘などという、何を根拠にしたのかわからない勝手な推測を記事にするなど、毎日記事の責任は重い。書いた記者に電話で抗議したところ、ミトコンドリアDNAは女系由来だと聞いたので妻か娘のものと早とちりしてしまったという。なんという雑な推測だろう。訂正を申し入れたところ、翌日の同じ夕刊に訂正記事を出すという。ネットにも出すべきだと言ったところ、ネットは誤報に気付いてその日の夕方にはその部分を削除したから訂正は出さないことにしたという。訂正前約4時間に記事を読んだ人に対して誤解を解消する義務があるはずだと深夜の長電話で交渉し保留となったが、翌日にはネットでも夕刊でも、「『うち2種類は被害者の妻と娘の可能性が高く、もう1人は不明』とあるのは誤りでした」という訂正記事が出た。毎日記者のレベルの低さには呆れるしかない。
朝日は、「血痕の鑑定結果判決と矛盾せず」の見出しで報道した。これも今回の鑑定結果がただちに原審判決と矛盾しないと言えるかどうかは、これから大いに議論のあるところであって、別の型が出たとして、その型の由来が何かは断定されたわけではない。毎日にしても朝日にしても、何かDNA型鑑定の結果によって裁判がひっくり返るかどうかが決定的で、「ひっくり返ることはなかった」という結論だけを先走りして書くという姿勢に変わりがない。読売は、「証拠血痕のDNA/元死刑囚と不一致」とし、他紙にくらべれば比較的冷静だった。NHKテレビも事実だけを報じていた。
実際に今回の鑑定結果をどうとらえるべきかは、今後弁護側をはじめ再審請求審の中で論議されるであろう。いまの段階で言えることは、一般的に血痕が常温で長期(三崎事件では39年)保存されていた場合、血痕内でDNA資料の変化・分解が行なわれやすく、PCR増幅しても検出できないことが多いと聞く。今回も通常の細胞核内のDNAは検出できず、ミトコンドリアが血痕の一一箇所のうち四箇所は検出できず、他の五箇所から同じ型が出て、残り二箇所がそれぞれ別の型を示し、その別型のうち一つは「混在型」であり二つとも言えるという結果である。つまり必ずしも3種類ではなく4種類とも言えて、同型の5箇所が何かを示しているかもしれないが、他の型については、まず保存中の変化・汚染を考慮すべきであろう。
DNA型鑑定についてまわる汚染
資料汚染(コンタミネーション)には、 証拠資料に手を触れたりした捜査員などのDNA資料が付着してしまう汚染、 検査過程で他の検体などからの反応が出てしまう危険の二つがあって、 については資料なしの検査と並行的に二つの検査をやって確かめる鑑定人もいるという。それほど微妙なのだ。
上記の汚染についての端的な実例は、2005年の栃木県今市女児殺害事件(未解決)で、遺体周辺から出た複数資料のDNA型のひとつが、実は当時の捜査一課長のものだったという1件だ(昨年9月報道、今年6月30日東京新聞詳報)。このことが明らかになったのは、皮肉にも足利事件の新DNA型鑑定が菅家さんの無実を証明した後、なんとかしてそれにケチをつけるため足利事件捜査に携わった多数の捜査員についてのDNA型鑑定を実施したところ、その型の一つが今市事件の証拠資料の型と一致したというのだ。今市の証拠物を捜査一課長がどのようにいじくりまわしたのか、あるいは毛髪が抜け落ちたのかわからないが、犯人のものと疑われていたDNA型が実は捜査一課長のものだったというのだ。今後、現場に入る捜査員は手袋をつけるとか、証拠物は冷凍保存するとかの対策がいわれているが、最新科学の鋭敏さにくらべて、ヒューマンファクターは限りなくファジーだ。今市の例から導き出される常識的判断は、DNA型鑑定では、まずコンタミの疑いを第一に考えるべきだということだ。コンタミの危険を排除できたことが証明できる場合のみ、DNA型鑑定を有効とするべきだ。      (人権と報道・連絡会山際永三)