救援連絡センター

ごくいりいみおおい

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丸一年を超えた長期勾留

 福岡地裁で行われている組対法弾圧裁判(08年5月13日事件)の傍聴人、支援者らが傍聴券配布時の裁判所職員に対する威力業務妨害罪等をでっち上げられて令状逮捕され、9名が起訴(5名は不退去罪も適用)されたいわゆる2・17弾圧事件から1年以上が経過した。被告らは、接見禁止処分を付せられたまま福岡拘置所に勾留されており、第一回公判すら始まっていない。
 この事件は、新左翼党派を名指しした組織的犯罪処罰法初適用という画段階的弾圧に対し、福岡地裁の大法廷を埋め尽くした大傍聴闘争と裁判闘争の爆発に打撃を受け、危機感を抱いた司法権力・裁判所が、公安警察と一体となり、福岡地裁所長の告発により、裁判傍聴・支援者らを令状逮捕・起訴し、組対法裁判闘争の圧殺を図ろうとした前代未聞の暴挙である。

公判前整理手続決定強行と弁護団総辞任

 地裁所長が「被害者」として告発した事件をその地裁で裁くこと自体背理であるが、2・17事件を担当する福岡地裁第3刑事部は、被告・弁護団による公判前整理手続適用絶対反対の再三の意思表明にもかかわらず、昨年7月28日、遮二無二適用決定を下した。本件は、裁判員対象事件でもなく、「単純」な事案である。にもかかわらずあえて適用したのは、組対法裁判のような裁判闘争を押さえ込み、日弁連の司法改革への全面翼賛、屈服を背景に、公安事件への本格適用の前例を作り、今後の地ならしにしようという権力のどす黒い野望によるものである。実際、取調段階から捜査官らは「公判前手続適用してやる」と公言していたのである。
 被告・弁護団は、このような一方的決定に対し、公判前整理手続が公開原則を踏みにじり、被告の防御権を密室の手続で抑圧するものであること等から、その撤回・取消を求めて奮闘した。しかし、最高裁を頂点とする司法権力の意を体した地裁は、妥協的条件を提示し、それにも応じないと「取消の規定がない」との形式論理を振りかざして撤回に応じようとしなかった。そのため弁護団は、公判前整理手続を前提とした弁護活動は被告との信頼関係を破壊するとして09年 10月28日総辞任した。

司法支援センターによる国選弁護人指名の攻撃的本質

 弁護団総辞任により、福岡地裁はすかさず司法支援センターに対し国選弁護人候補の「遅滞なき指名」を求めたはずである。司法支援センターの主管庁は法務省であり、理事長は法務大臣が任命する。被告の訴追者である検察庁を擁する法務省が他方で「国選弁護」をとり仕切るこの仕組みこそ、裁判員制度、公判前整理手続と一体となって戦時司法への転換を画する現代版「指定弁護士」制度である。また、司法支援センターは、「迅速処理」と「効率化」を目標に掲げる独立行政法人であり、裁判闘争の抑圧を本質的属性とする。司法支援センターによる「刑事弁護の国家管理化を許すな」の声は、日弁連内の強固な司法改革反対運動を形成し、今なお多くの弁護士が「つぶせ司法支援センター」をうったえ、センターとの国選弁護契約拒否を貫いている。
 かかる司法支援センターによる国選契約弁護士の指名→裁判所の選任というプロセスは以下のような攻撃性を有している。第一に、支援センター設立以前と異なり、弁護士会が国選選任攻撃に対し制度的に対決する余地を奪われた結果としての国選弁護人指名攻撃であるということ。すなわち、弁護士会に国選弁護人推薦権があった司法改革前においては、私選弁護人が裁判所と対立して辞任しても、弁護士会は裁判所による国選弁護人の一本釣りを認めなかった。むしろ不当な裁判の強行を許さないため、国選弁護人推薦を拒否することによって裁判所の強権的姿勢に対決して闘った。例えば、連続企業爆破事件の裁判(1977年)においては、東京地裁の月4回公判期日指定、欠席裁判強行に対し、私選弁護人は被告人の防御権、弁護権を侵害しているとして総辞任した。これに対し裁判所は、東京弁護士会などに国選弁護人の早期推薦を迫った。しかし、当時の東京弁護士会国選運営委員会は、上記期日指定は、弁護権の侵害であり「現状が是正されない限り、東京弁護士会は国選弁護人を推薦すべきではない」として裁判所の強権的訴訟指揮を強く批判し、国選弁護人の推薦を拒否した。結果として東京の三弁護士会は実質的に裁判所の国選委嘱を拒否した形となり、裁判所が白旗をあげて期日指定を撤回せざるを得なかった。弁護士会の推薦がなければ国選弁護人を選任できなかった制度が、権力、裁判所当局にとっていかに桎梏であったか、また、弁護士会が推薦権を保持していることがいかに裁判所の横暴と闘う上での強力な武器となるかを物語るものである。しかし司法改革に籠絡された日弁連は、戦後60年に亘って保持してきたこの推薦権をやすやすと放棄した。その結果、現在の国選指名は、指名権限を掌握した支援センターによる裁判闘争破壊として顕現せざるをえない。第2に、被告毎の個別弁護人選任による団結解体攻撃であること。かって日弁連で「刑事弁護ガイドライン」策定を巡り会内を二分する激論が行われた際、司法改革推進派は「共犯者同時受任禁止原則」を制定しようとした。しかしこれは労働、公安、集団事件における被告の分断、転向強要、団結破壊を狙う権力の目論見そのものであるとして断固として粉砕された。国選契約弁護士のマン・ツー・マン選任は、まさに葬り去られた「同時受任禁止」を甦らせ被告団の統一を破壊するものである。

裁判所は、公判前整理手続を撤回せよ

 2・17弾圧被告人らの断固とした闘いは、支援センターの「使命」とする迅速な国選指名→裁判所による選任→公判前整理手続強行というもくろみを頓挫させている。国選契約弁護士が被告を分断し、公判前整理手続強行という裁判所の意図の貫徹の担い手となることを受け容れる以上、被告人との信頼関係を構築することはおよそ不可能である。かって、69年10・21国際反戦デー事件の裁判(凶器準備集合罪)において、裁判所が被告らの統一公判要求を受け入れず、分割審理を強行しようとしたのに対し、国選弁護人が「被告人らの右の要求を実現させ得ないのに、なおその任に留まるならば、被告人らの希望しない形における裁判の進行に協力することになるので、それでは結局被告人に対する敵対行為である」として辞任申出をしたことがあるが(判例タイムズ326.340)、きわめて原則的姿勢というべきであろう(ただし裁判所は辞任認めず)。いずれにしても、公判前整理手続に執着する司法当局の野望や面子のために被告人らに不利益が強いられる事態は断じて許されない。本件は、裁判員裁判のように公判前整理手続が必要的とされる事件ではない。裁判所の裁量で決定を行った以上、その取消ができない理由はない。福岡地裁は、直ちに公判前整理手続を撤回し、被告人らを不当な長期勾留から解放せよ。

2010年2月22日記
弁護士 遠藤憲一(5・13組対法弾圧弁護人)

私の拒否をみんなの拒否へ みんなの拒否で制度廃止へ!

 私たちは、裁判員制度実施1年目の5月18日、制度廃止のための全国集会を開催します。
 最高裁は「出だし順調」などと取り繕っていますが、実際の裁判はやればやるほど問題が続出です。「冤罪防止」どころか無罪主張事件も有罪判決でしたし、昨年の裁判は無罪判決は1件もありませんでした。また、「市民参加」どころか「評議」は密室で行われ、「守秘義務違反」連発の裁判所に裁判員は萎縮しています。辞退者はますます増えるばかりです。裁判の公平、公開、裁判を受ける権利は風前のともしびです。現代の赤紙・裁判員制度を、みんなの声で廃止に追い込みましょう。
 5月18日、午後6時には、日比谷公会堂にぜひお集り下さい。

【呼びかけ人】
足立昌勝、雨宮処凛、嵐山光三郎、池内ひろ美、今井亮一、内田博文、蛭子能収、大分哲照、織田信、玄有宗久、崔洋一、斎藤貴男、新藤宗幸、高山俊吉、西野留美子、若田泰

日時  5月18日(火)午後6時
場所  日比谷公会堂
主催  裁判員制度はいらない大運動

【連絡先】
 東京都新宿区西新宿3-2-9  新宿ワシントンホテルビル本館2406号
         新都心法律事務所内
     裁判員制度はいらない大運動
tel 03-3348-5162 fax 03-3348-5153
e-mail  saibanin-iranai@shintoshin-law.jp
URL   http://no-saiban-in.org

自身の身体に火を付けた時刻に、その場に共にいてやりたい。

3月30日(火)
17時半〜18時半
日比谷公園かもめの噴水前広場
花代 200円ほか
主催 〈パレスチナに献花を〉対駐日イスラエル大使館抗議行動

3月30日「土地の日」は、イスラエルの土地収奪に対して、一九七六年の大抵抗から続いている抗議の日です

3月27日(土)13時開場
文京区民センター・3階
(地下鉄三田線・春日駅、丸ノ内、南北線・後楽園駅徒歩5分、JR水道橋駅徒歩13分)
資料費 500円

集会内容
映画上映「GOODBYE BASSEM」
(09年4月、催涙弾の頭部直撃で殺されたビリン村リーダーの録/HAMSAFilms/27min)
◆報告(09年10月パレスチナ訪問メンバー)「ヘブロン、ビリン、ゴランなど」◆発言/討論

主催 日本-パレスチナ・プロジェクト・センター(JPACA)

日時  3月28日(日)正午
会場  成田市天神峰  反対同盟員所有地
主催  三里塚芝山連合空港反対同盟
連絡先 事務局長・北原鉱治 (成田市三里塚115)
tel  0476-35-0062

日時   3月27日(土) 13時半開場  14時開始
場所   新橋福祉会館
      (都営三田線御成門下車五分または新橋駅烏口10分)
資料代  500円
講師   小川秀世(弁護士)

 1966年6月、静岡県清水市で発生した「強盗・殺人・放火事件」で4人が殺害された。見込み捜査で逮捕された袴田巌さんは無実を訴えながらも死刑が確定し、43年間もの長期拘禁を強いられている。
 1981年以来、今日まで長期にわたる再審請求が続けられている。 
 足利事件や布川事件、氷見事件など相次いで冤罪が明らかになっているが、死刑囚の再審は免田、財田川、松山、島田と80年代に4件の再審・無罪が相次いだが、それ以降は一件も再審は実現していない。
 袴田事件では1審静岡地裁で主任裁判官だった熊本氏が袴田さんの無実を確信しながら、裁判長ともう1人の陪席裁判官を説得しきれずに多数決で死刑判決を言い渡したことも明らかになっている。
 弁護団の小川秀世さんの報告を受け、死刑・冤罪・裁判の問題を考えたい。

主催 救援連絡センター 協賛 週刊金曜日

冤罪をへらすことはできるか?

 この2~3年、改めて冤罪についての論議が盛んになった。鹿児島県志布志事件の全員無罪・特別公務員暴行凌虐罪による警察官有罪・国家賠償請求、そして富山県氷見事件の検察官による再審請求・国賠訴訟、さらに追い打ちをかけて栃木県足利事件のDNA型再鑑定・釈放・再審開始、茨城県布川事件の再審開始決定と続いた。おりから裁判員裁判制度の発足と重なって、裁判員は冤罪を見抜くことができるか? 冤罪で死刑判決になったらどうする? といった一般的な不安も拡がっている。新聞やテレビも冤罪を扱うことが以前よりも多くなってはいる。しかしごく一部の優秀な記者によるもの以外は、うわすべりして冤罪の本質・真の実態をえぐるものが少ない。冤罪は減るどころか、ますます増えるのではないかというのが私たちの危惧だ。

冤罪とは何か?

 むろん警察官や検察官の単なるミスではない。彼らはいかようにも言い訳を考えてくる。現に松川事件国賠訴訟の成果以降、冤罪の責任を問う国賠訴訟の大部分はことごとく原告の不満に終わっている。「国賠は負けるに決まっている」と弁護士がまず諦めムードだ。左翼活動家(私たちを含め)は、「冤罪は権力犯罪だ」と定義づけてきた。確かにそうに違いないが、その定義が白々しいくらいに、冤罪の闘いはしんどく孤立無援がほとんどだ。
 1970年代私たちが冤罪との闘いを模索している時に、ある活動家は「冤罪裁判ではとかく真犯人突き出しになることがある。だから支援しない」と言った。私はそれに激怒したが、この言葉はなかなか意味深長であることも事実なのだ。つまり冤罪の普遍性と特殊性の網の目のなかで冤罪との闘いは、しばしば本来の味方にうとまれ嫌われ、冤罪被害当事者が消耗しきってしまい、ついには権力がほくそ笑むという歴史が繰り返されてきたと言っても過言ではない。

古くて新しい真犯人問題

 真犯人問題は、単に活動家にだけ突きつけられている問題ではない。あとで真犯人が判明しても、権力は当初の冤罪を認めることなく押し通してきたのがこれまでの常だった。交通事件の加害者が実は身代わりだったというような検察官再審請求はあるが、氷見事件のように真犯人の判明を理由にしての検察官再審請求(権力による間違いの自認)は、これまでに前例のない事態なのだ。警察・検察が、金属疲労を起こしているのだろうか?

謝罪は本当か?

 足利事件・菅家さんに面と向かって謝罪したのは、栃木県警本部長だけでなく宇都宮地検検事正までも声を震わせて謝罪し、それがテレビに流された。これに懲りて冤罪は減るのかと、多くの人は受け入れたに違いない。「日本は何だかんだ言っても、地検特捜部は巨悪を摘発し、政治腐敗を牽制している。そして冤罪被害者には謝罪して再発防止を誓った」と評価している人もいるだろう。
 本当か? 私は彼らの謝罪を信じない。謝罪が「やらせの芝居」であることを、私は証明できる。第1に、全く同じ時期に氷見事件・柳原さんの国賠で被告・国側は、志布志と氷見を総括して再発防止を誓った最高検察庁報告書(07年8月公表)の内容とは全く違う立場で、訴状に対して「争う」と答弁して、「検察官に違法性はなかった」とし、ちょっとしたミスだったとうそぶくのである。国の代理人代表は法務省大臣官房参事官だ。検察官一体原則は完全に崩壊した。足利事件では真犯人が判明したわけではない。にもかかわらずあれだけの謝罪を演出した。柳原さんには検察官は謝罪していない。警察が柳原さんを呼びつけて、肩をいからせて出てきた男たちが、いかにも本心ではない謝罪らしき言葉を吐く儀式はあった。そして警察の幹部は言った「警察も悪かったが、あんたにも非がある」(自白したのはあんただ)と言った。柳原さんは、これに対して本当の怒りを隠さない。

免田さん・赤堀さんに謝罪しろ!

 最近明らかになって話題となった冤罪の他に、無数の冤罪がある。有名な事件もあるし全く無名の事件もある。1980年代に4人の確定死刑囚が次々と再審無罪を果たして死刑台からシャバに帰還した。この奇蹟とも言える事態が続いたとき、マスコミは「自白偏重捜査の誤り」とか「ついに裁判所を動かした冤罪の叫び」といった常套句で大幅に紙面を割いたものだ。しかし免田さんに、赤堀さんに、謝罪した警察幹部・検察官・裁判官はいなかった。いまからでも遅くない。謝罪したらどうだ。免田さんと出会った取調官は、「あれは仕事だった」とだけ言ったという。多分柳原さんの取調官・長能善揚刑事も同じことを言うだろう。あの80年代、日本の司法は何の反省もしなかった。
 要するに時代とともに、またケースバイケースで、冤罪発覚に際して警察・検察側の誤魔化し方は少しずつ変わってきているのは事実かもしれない。しかし冤罪の本質は全く変わらず、より複雑になって再発し続ける様相だ。なぜならば、謝罪は見せかけであり、警察官・検察官・裁判官そして多くの弁護士もこの国の司法システム全体の腐敗を、真に憂いたうえで解決しようとしている人材はごくごくわずかでしかないという現実があるからだ。私は声を大にして、それを断言する。

真の司法改革は?

 アメリカ、イギリス、フランスにも冤罪は多い。だが、冤罪が騒がれるたびに、具体的な司法改革の一歩前進が欧米にはあって、日本にはないのだ。イギリスでは、冤罪が立て続けに起きたことを契機に、弁護士の立ち会いなしの取調べはなくなったと聞く。アメリカでは冤罪発見のためのプロジェクトが立ち上げられて、新しいDNA型鑑定により多数の人が釈放されたと聞く。日本では、可視化(取調べの全面録画録音)でさえ、新政権になってさえ、なかなか実現しない。言うまでもなく可視化されたからと言って冤罪がなくなるわけではない。ただ、一歩前進にはなるだろう。日本にそうした改革がないのはなぜだ? それは司法関係者だけの、権力だけの責任だと断定できるだろうか? 本紙の読者にも、その責任の一部は、大いにあるというのが私の主張だ。

冤罪の本質

 冤罪と聞いて最初から「冤罪はあっても仕方がない」と言い切る人は、まずいないだろう。だが言い切る人はいなくても、心の奥底で何となくそのようなことを思っている人は、けっこう多いのではないか、私たちの周囲にもけっこういるのではないかと考える。これを私のひねくれた見方だと断固批判する人がいるだろうか?
 私は、日本では「100人中1人や2人の冤罪者が出ても仕方がない、あとの90何人がおいしいものを食べ温泉旅行ができれば…」という本音をもっている人がけっこういるというのが実感だ。経済発展のため、改革のため、少しの犠牲は出てもやむを得ないという発想がある限り、冤罪はなくならない。完全に犠牲なしの改革なんて、夢みたいなことを言うなと私を批判する人がいたら名乗りをあげてほしい。社会が複雑になればなるほど、右か左かではなく、あらゆる条件のシガラミをかいくぐって1歩前進を図るしかないのだ。

冤罪の共通性

 冤罪には共通性がある。それは警察・検察のマニュアルみたいなものだ。いわく任意調べ、別件逮捕、上申書、精神的肉体的拷問(拷問等禁止条約の定義)による自白、家族友人への恫喝、弁護士からの不信の視線、再逮捕、人質司法、起訴後別件取調べ、似非科学鑑定(DNA型・スプリング8など)、証拠の隠匿、死刑恫喝等々。そしてマスメディアの犯人視報道洪水、作られる世論、こうした複雑な条件のなかで個人は圧殺される。
 私は、菅家さんを救ったDNA型鑑定でさらにまた新たな冤罪が生み出されることを恐れる。なぜなら、DNA型鑑定には資料の汚染という可能性がついてまわるからだ。
 日本人は、犯罪という言葉に弱い。「世間様にご迷惑をかけない」ことがいいことと教育されてきている。刑務所体験をした人に対する徹底した差別、社会復帰の困難、それらは政治の問題というより社会体質、価値観の問題だ。

権力対人民という発想の虚妄

 日本の新・旧左翼と言われたり知識人と言われたりする人々、さらに草の根に依拠しようとする人々でさえ、その発想の中に、どうしても「権力対人民」という、この社会を二つに分けてしか考えられない体質が多いと、私はかねがね思ってきた。実は、その「権力」と「人民」のあいだに、「メディア」というものが入り込んでいるのが現代の社会だということを解ってほしい。少なくとも、社会は二つの勢力に割り切れるものではなく複雑に入り混じり、互いにからみあってしまっているのだ。その絡み合いの真っ只中に冤罪がある。

メディアが冤罪を作る

 本来そんなことがあっていいはずがないが、実際はマスメディアによる警察の逮捕イコール犯人視の報道により、圧倒的な世論がかもし出され、冤罪は作られていく。
 三浦和義さんの「ロス疑惑」が典型例だ。警察が動く前にマスメディアが事件をでっち上げた。その後10数年の闘いがあり、銃撃事件の東京高裁無罪が確定しているにもかかわらず、「共謀」は残っているとして昨年アメリカに逮捕され、日本政府はそれに捜査協力した。あげくの果てに三浦さんは、ロスの留置施設で虐殺された。「共謀」は、例の「殴打事件」が日本でも有罪のまま確定していること(服役済み)が三浦さんのデメリットとされた。しかし、多くの人々が解っていないのだが、「殴打事件」は単なる「転倒負傷事件」と呼ぶべきもので、正真正銘の冤罪なのである。その三浦さんが生前力を入れていたのが、冤罪との闘いだった。和歌山カレー事件・林真須美さんの控訴審判決後、三浦さんは支援に動き、新弁護団ができた。林さんは保険金詐欺を認めたうえで、カレー事件の完全冤罪を訴えている。保険金詐欺をやるような女だからカレーにも毒を入れて無差別殺人をやろうとしたに違いないというのが判決の構造だが、これは飛躍し過ぎている。マスメディアによって作られた「悪女」のイメージに、多くの人が共感してしまった。林さんの家を長期間取り巻いて、郵便物を盗み見たり竹竿の先に小型カメラを仕込ませたりしたマスメディアの異常な姿を見て、それでも警察の判断を正しいと受け取る人々は、感覚が麻痺しているとしか言いようがない。
 さらに、浦安事件・Kさんの冤罪を解ってほしい。小学校障害児教室で教師が女児にわいせつ行為を行なったとして逮捕され、顔写真つき実名で書き立てられたKさんは、一審無罪二審無罪で確定しながら、なお女児の親から民事賠償で訴えられ、マスメディアは終始女児の親とそれを支援する人々の側に立った報道をいまだに続けている。女児の訴えた内容には客観的な矛盾が多く、ホラービデオのストーリーと同じことがあったりして裁判でもほとんど否定された。ところが障害児の言い分を取り上げない裁判が不当だとして、「市民運動」が積極的にマスメディアやネットメディアを利用している。私は弁護士とともにいろいろ調査したうえで、Kさんの冤罪を確信している。

人権闘争の横の連帯を

 冤罪ではない事件(有実)まで冤罪と主張することは許されない。しかし少し調査して、本人の言い分の裏付けをとれば、冤罪を確信できることが多い。
 それぞれの冤罪当事者および支援の人々を孤立させず、横の連帯を強めることが必要だ。死刑廃止運動との垣根を取り払い、人権闘争相互の連帯も図るべきだ。冤罪との闘いによって、さまざまな分野・局面で、日本社会の異常を指摘し一歩前進を図ることができる。多くの人の参加を呼びかける。

(山際永三)

1966年6月、静岡県・旧清水市で発生した「強盗・殺人・放火事件」とされた袴田事件。死刑判決が確定した袴田巌さんは、1981年以来、長期にわたる再審請求中、今なお無実を訴え続けています。

弁護団の小川秀世さんから報告していただきます。

3月27日(土) 13時半会場、14時~

会場:新橋福祉会館
都営三田線御成門下車5分または新橋駅烏森口10分
講師:小川秀世(弁護士)

国賠からの報告
沖田痴漢冤罪国賠、河内さん国賠、たちかぜ国賠、富山(氷見)冤罪国賠、Nシステム国賠、バレンタイン国賠、微罪逮捕国賠、消防署国賠、大河原国賠

講演
個人通報制度と冤罪・国賠
伊藤和子弁護士(ヒューマンライツナウ事務局長)

10年2月27日(土) 13時半~16時45分
渋谷区立大向区民会館(宇田川町38-4)
資料代 500円

 2006年5月24日に施行された「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」(刑事被収容者処遇法、当時は受刑者処遇法で翌年に増補改称、以下「新法」と略す)は、附則41条で施行後5年以内(2011年5月23日まで)に見直し再改正を行うことになっている。
 新法は、名古屋刑務所事件(2002年に発覚)を契機に設置された「行刑改革会議」の提言を受け旧監獄法を百年ぶりに改正したもので、代用監獄の存置など重大な欠陥を残しながらも、刑事施設視察委員会の創設、受刑者と親族以外との外部交通の拡大、応答義務のある不服申立制度の新設など、日本の刑務所改革に向け重要な一歩を踏み出したものである。
 新法の前進面は、受刑者から監獄人権センターにあてた相談件数の劇的な増加によっても明らかである。名古屋刑務所事件が発覚した2002年には年間100件に満たなかった相談件数は、新法が成立した2005年以降は毎年1500件前後となっている。

外部交通の「逆コース」

 しかしながら、2000年代に進行した厳罰主義により刑務所の過剰収容が慢性化するなか、現場の幹部刑務官の間に新法に対する組織的な抵抗戦線が形成され、その影響はいまや大臣訓令・矯正局長通達に及んでいる。その顕著な例が2007年6月以降の受刑者の外部交通権の後退である。
 2007年6月1日の現行刑事被収容者処遇法(改正受刑者処遇法)の施行に当たって、同年5月30日付で外部交通に関する新通達が出された。新通達では、親族に準じる「重要用務者」の面会について面会内容に立ち入った条件が付加され、友人・知人の面会についても「継続的な交際の事実」のチェックや更生に支障がないことの明白性が要求されるなど、受刑者の面会の相手方を狭める方向での改悪が行われた。これによって、友人・知人の面会がほとんど不可能になった刑務所もあるといわれる。
 また、2009年3月ころより宮城刑務所などで面会だけでなく信書の発受の相手方についてまで、事前に住民票などの提出を求める刑務所も現れている。
 外部交通の「逆コース」は何故起きたのか?各刑務所の内規を子細に検討すると、面会・文通の絶対数を減らしたいとの願望が明け透けに語られている。「受刑者の矯正処遇の適切な実施に支障を生ずるおそれ」の排除などというタテマエとは裏腹に、本音は事務量を削減にあるようだ。しかし、外部交通の人権性や社会復帰上の意義を考えれば、刑務官の本来の使命より事務量の削減に汲々とする姿は、本末転倒を通り越して情けない。

新法無視の省令・通達行政

 他方、新法の規定に反する法務省令(被収容者処遇規則)や訓令・通達によって旧態依然たる運用が温存されてきた領域もある。その代表例が、新法76条の「隔離」の規定を脱法した「制限区分第4種」による「処遇上単独室」である。
 旧監獄法下の2003年9月10日現在「処遇上昼夜独居者」は全国で2108名いたが、新法下の2008年4月10日現在これに相当する「隔離」は全国で95名にまで激減した。新法の規定に忠実である限りこれは当然の結果である。しかし、同年同日における「制限区分第4種」は3539名に上り、「隠れ隔離」ともいうべきこの制度によって、「昼夜間単独室処遇者」は実質上旧法下よりも増えている。
 また、運動について法は 日曜・休日を除く毎日、できる限り屋外で と規定しているのに、入浴や雨天の日に運動を行っていない施設が多い。面会時間について省令は「30分を下回ってはならない」とし、混雑時などに例外的に「5分を下回らない範囲内で」これを短縮できるとしているのに、実際にはむしろ下限に近い面会時間が常態化している施設もある。
 旧監獄法下での法律抜きの省令・通達行政に慣れ親しんできた刑務官の間では、ことほどさように法律を無視する運用がはびこっている。新法に反するこれらの省令、通達、内規、慣行はすみやかに廃止または改正されなければならない。

運用で明らかになった法の不備

 新法4年間の運用を通して法の不備が明らかになってきた領域もある。その代表例は、懲罰に対する不服申立ての「不適法却下」である。新法では懲罰をはじめ16項目の処分に対して「審査の申請」ができる。しかし、2007年になされた3075件の「審査の申請」のうち、実に2036件(約3分の2)が「不適法」とし門前払いされている。この中には、「執行を終了した懲罰は取消しの利益がない」として却下された事例が多数ある。
 これは懲罰処分取消しの行政訴訟における「訴えの利益」の理論をそのまま適用したものである。しかし、懲罰に対する不服申立てさえほぼ全てが門前払いされるような制度は、実効性ある不服申立制度とはいえない。現状の運用が変わらない限り、この点は立法的に手当てするしかない。また、「審査の申請」の対象を医療、差入れ、自弁物品の使用などにも拡大する法改正も必要である。
 視察委員会の権限・事務局機能の整備、第三者による不服審査委員会の創設、不服申立ての裁決の公開による先例化、刑務作業の準賃金制と健康保険の適用及び医療スタッフの厚生労働省への移管による刑務所医療の抜本的改革も、新法見直し法改正の重要なテーマである。

2010年を新法見直し再改正の年に

 監獄人権センターは、2009年秋の政権交代に際して、民主党を中心とした連立政権に実現を求める監獄人権政策として、以下の四項目を文書で申し入れた。
 拷問禁止委員会、自由権規約委員会の総括所見をふまえ、死刑制度に関する調査会を設置し、死刑廃止に向けた調査検討を行うとともに、その間は死刑の執行を停止すること。 無期刑受刑者の仮釈放制度を見直し、受刑者自身に審査請求権を付与すること。 行刑改革会議の示した理念に基づいて、2011年までに要求されている同法の改正を確実に実施すること。 社会奉仕命令や未決拘禁代替措置などの導入より、過剰拘禁問題を解決すること。
 刑務所改革受刑者の人権擁護と社会復帰の促進は、いまや厳罰主義過剰収容との闘い抜きには前進しない。「新法見直し期」に当たる2010年を、厳罰主義を押し返し、刑務所改革を大きく前進させる1年としたい。

(監獄人権センター事務局・中元義明)