はじめに
─秘密保全法制が登場してきた背景─
2011年8月8日「秘密保全のための法制の在り方に関する有識者会議」は、「秘密保全の在り方について」と題する報告書を発表した。
この有識者会議は、前年に発生した尖閣諸島中国漁船衝突事件(9月7日)とその映像ビデオのユーチューブの流出(11月4日)及び警視庁公安部の国際テロ捜査に関する内部資料とみられるデータがファイル共有ソフト「ウィニー」上に流出(10月29日)したことを重視した仙石官房長官(当時)は、衆院予算委員会で中国漁船衝突事件の映像流出問題に関連し「国家公務員法の守秘義務違反の罰則は軽く、抑止力が十分ではない。秘密保全に関する法制の在り方について早急に検討したい」と強調し、検討委員会を早急に立ち上げる考えを示した。
その結果、政府に設置されたのが「情報保全に関する検討委員会」であり、その下部機関として「有識者会議」が設置された。有識者会議は、2011年1月5日に第一回会議を開催して以来、六回の会議を開催し、上記の報告書を発表した。
この会議は、すべて二時間以内で行われた。毎回、事務局が論点とそれに関する資料を作成し、それに基づいて、事務局から議論のポイントが説明され、委員達はそれについての意見交換をしただけである。そこでは何も決めていない。事務局がすべての議論をリードし、委員の意見を聞き、その会の結論としているだけである。何のための有識者会議だったのか。このような有識者会議ならいらない。単に、結論の正当化のために設置され、開催されただけである。有識者会議の在り方については、今一度考え直してみる必要があるだろう。
秘密保護法制の歴史
1 明治からポツダム宣言受諾まで
明治13年の旧刑法は、スパイ(間諜行為)を処罰し、現行刑法もその流れの中にあった。それは、戦後の平和主義の下で、当然のように削除された。
明治時代に、旧軍機保護法や要塞地帯法が制定され、他の治安立法と相まって、①秘密事項を国民に知らせない、②戦時におけるスパイの処罰、③平時における軍事秘密の保護という三つの側面からなる国家秘密保護法制が一応の完成を見た。 その後の国家総動員体制への転換は、より一層軍事機密の保護を強めることになった。1936年(昭和11年)の2・26事件、1937年の盧溝橋事件などを背景として、軍機保護法が改正され、軍事機密の範囲が広げられ、その種類や範囲は、陸海軍大臣の命令に委ねられることになった。また、翌年には、国家総動員法、1939年には軍用資源秘密保護法が制定され、さらに、1941年には、「国防上外国に対し秘匿することを要する外交、財政、経済その他に関する重要なる国務に係る事項」を国家機密とし、それを保護する国防保安法が制定された。
ここに、戦時体制における強固な秘密保護体制が確立された。
2 戦後から現在まで
このような秘密保護体制は、ポツダム宣言の受諾と新憲法の平和主義の下で、すべてが廃止されることになった。しかしその一方で、新たな秘密保護の在り方が追及されていた。
憲法の平和主義を無視して締結された日米安保条約に基づき、アメリカ軍が駐留することになった。その結果、アメリカ軍の軍事機密を保護するために刑事特別法(1952年)とMSA秘密保護法(1954年)が制定された。これらの秘密保護法の特徴は、探知・収集という行為の前提として「合衆国軍隊(我が国)の安全を害すべき用途に供する目的をもって、または不当な方法で」と規定されたことである。このような目的と方法が一つの条文で規定されることは稀有なことである。目的犯とすることは戦前からも存在していたが、「不当な方法」での処罰は存在しなかった。その意味においては、これこそが、戦後型秘密保護法の特徴と言えるだろう。
これとは別に、国家が有する秘密を守るために、公務員に対し、守秘義務を認めている(国家公務員法100条、109条12号)。
このような秘密保護の動きは、1979年の改正刑法草案でも現れていた。すなわち、140条は公務員機密漏示罪を規定していたが、様々な要素の中で、改正刑法草案は法律化されることはなかった。1985年には、勝共連合の後押しを受けた自民党有志が国家秘密法案(スパイ防止法案)を国会に提出した。ここでは、「防衛及び外交の事項にかかる文書、図画又は物件で、我が国の防衛上秘匿することを要し、かつ、公になっていないもの」を「国家秘密」とし、外国への通報目的または不当な方法で探知・収集した「国家秘密」の漏示・通報が処罰対象とされていた。ここでの処罰対象者が特定の人ではなく、一般人であることについては、特に注意する必要があるだろう。
答申に現れた秘密保全法制の概要
その必要性については、①情報のネットワーク上へ流出する危険、②外国との情報共有の促進に伴う秘密保全に関する制度の必要性、③国家公務員法における秘密漏示罪の懲役一年という抑止力の低さが取り上げられているが、①と②については、論外である。そのような事態が存在するとしても、なぜ処罰しなければならないのかという説明にはならないからである。③の抑止力の低さでは、今までこれで行われてきたのに、なぜ、今、これを問題にしなければならないのかが不明である。
秘密の範囲については、守るべきものを「特別秘密」とし、①国の安全、②外交、③公共の安全及び秩序の維持がそれであるという。これを簡単に言えば、①防衛秘密、②外交秘密、③公安・秩序秘密ということであろう。ここで新しいことは、公安・秩序秘密を守るべき「特別秘密」に加えたことである。
防衛秘密や外交秘密については、スパイ防止法案において大いに批判されてきた。その現実は現在においても変わっていない。しかし、公安・秩序秘密はまだ議論されてこなかったことである。
この秘密については、警察の在り方そのものにかかわるものであろう。ここでいう「公共の安全及び秩序の維持」を担っているものは、公安警察であり、顕在化せずに、秘密裏に活動する組織である。そこで収集された情報を秘密指定し、それへのアクセスを刑事罰で禁止することは、公安警察を正当化するものであり、絶対に許すことはできない。警察は不偏・不党なものでなければならないことは当然の前提であり、警察的観点からの社会の敵を想定し、それに対する隠密情報収集活動は、警察活動の前提に反するものである(その他の問題として、秘密の管理(秘密の指定、人的管理、物的管理)や罰則、さらには、知る権利との関係などがあるが、枚数の関係上、割愛せざるを得ない)。
従来の秘密保護法は、目的犯構成を取り、敵国の存在を前提とし、敵国に内通するような行為の処罰を前提としている。それに対しこの秘密保全法制は、秘密を管理するものの漏えいを処罰するものであり、国家公務員法の系列に属している。しかし、それとの大きな相違は、一般人が行う「特定取得行為」を処罰の対象としていることである。この特定取得行為こそが、本法制の目玉であり、一般人が行う探知行為を処罰するものに他ならない。
秘密保全法制と共謀罪
従来の秘密保護法には、予備罪、教唆・扇動罪に関する規定は存在するが、共謀罪の規定は存在しなかった。それに対して、爆発物取締罰則4条、国家公務員法110条1項17号、地方公務員法61条4号、自衛隊法122条4項で、共謀罪の独立処罰が認められており、今回の秘密保護法制も同じく共謀の独立処罰を認めている。
ここで認められている共謀の独立処罰は、国家体制を守ることを原則としている。すなわち、自由民権運動から政権を守るための爆発物取締罰則規定、公務員が争議行為を行うことによる公務員の中立性の侵害、軍事秘密を、自衛隊法で防衛秘密とし、また安保条約の下での軍事秘密の保護である。
今回の秘密保護法制の特徴は、外交秘密、防衛秘密に加えて、警察秘密を加えたことである。これらは、現政権にとっては自らの体制そのものを守ることを意味している。そのためには処罰の早期化をはかる必要があり、共謀段階での処罰を求めている。
これを許してきたのは、刑法学者の怠慢であり、マスコミの怠慢に由来している。先にあげた共謀独立処罰の立法例でも明らかなように、国家公務員法、地方公務員法、自衛隊法は、大きな改正を経ているので、その都度、論議する機会が存在した。その際に、この重要な問題に気づかず、批判してこなかったことが、今日の事態を招いたのであろう。
その理由の一つに、学会での論議が、共謀の独立処罰に目を向けず、犯罪論体系にのみ目が向いていたことがある。
早急に体勢を立て直し、国家の在り方そのものに目を向け、共謀の独立処罰に対し批判の目を向けなければならない。
共謀罪の独立処罰をさらに認めることは、現在問題になっている共謀罪を認めることに等しい。私たちは何のために闘ってきたのであろうか。原点に立ち返り、共謀罪導入阻止のためにも、秘密保全法制の制定を許してはならない。